自分の好きなアイドルグループが解散した話

2019年2月23日をもって妄想キャリブレーションというアイドルグループが結成から約6年の活動に終止符を打った。

 

解散するとはじめて知った時の素直な気持ちは「やっと解散か」「やっぱりそうか」と、すこし冷めた印象だった気がする。

 

悲しさや喪失感よりもいつか必ず来ると分かっていた出来事がただ発表されただけの感覚に近い。

 

解散の日が近づいてきても特になにも感じなかった。自分が好きだったものが今後見れなくなるというのにここまで何も感じないものか、と自分自身に驚くほど何も感じなかった。

 

ライブに入ることを決めたのは2月22日。解散ライブの前日だった。


かつての友人達が解散を惜しみ、ツイッターで想い出を語り合っているのを見て、「これは明日この場にいないと後悔する」と感じて入ることを決めた。

 

詳しいライブの内容は、語り出したら止まらなそうなので割愛するが、本当に素晴らしいものだった。彼女達が置かれている環境や状況の中で、できうる最高のパフォーマンスだと感じながらライブを見ていた。

 

人は不完全なものほど惹かれる生き物だから、アイドルは不完全であればあるほど魅力的になる厄介極まりない存在で、だからこそ彼女や妄想キャリブレーションを好きだったわけだけど、昨日のライブを見たら不完全だと感じる部分は限りなく少なくて

 

「あぁ、今解散するのがこのグループにとって一番いいんだろうな」と心の底から思うことができた。

 

少なくとも僕の周りでライブを見ていた人達は、彼女達の出した「解散」という事実を受け入れて、今この瞬間を楽しもうとしているように感じた。泣いている人も大勢いたけど、「今日という日に解散しないでほしい」と思っている人はいなかった気がする。

 

 

彼女が富山県から東京の大学に進学しなかったら
秋葉原ディアステージという場所の存在を知り、アルバイトをはじめなかったら
妄想キャリブレーションという存在に出会い、加入しなかったら

 

そもそも妄想キャリブレーションというグループがこの世に存在しなかったら
当時の妄想キャリブレーションのメンバーが彼女達ではなく、別の誰かだったら

 

一緒に悩み、苦しみ、楽しみながら応援をしたファンの方々がいなかったら

 

 

この中のなにかひとつでも欠けていたら、昨日のワンマンライブは昨日のワンマンライブにならなかった。

 

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これから先、彼女や彼女達、このグループに関わっていた全ての人達は、妄想キャリブレーションがいない日々を過ごしていく。

 

かたちのあるものはいつか消えるし、かたちのないものだって、いつかは消えて、残るのは記憶だけだとしてもそれで充分なんだと今は思える。

 

彼女達がライブの中で「愛してくれてありがとう」と繰り返し言っていたけどそれは違う。

 

愛する機会をあたえてくれてありがとう

 

心からそう思えるグループを、メンバーを、そしてその雰囲気を作り出してくださった全ての関係者、ファンの皆様、何かひとつでも欠けていたらこの気持ちにはならなかった。


アイドルのファンという趣味は、全ての人から理解があるわけではないし、嫌厭される部分は少なからずある。それでも僕はこのグループを好きでいたことを誇りに想うと同時に、もし生まれ変わってもまたアイドルのファンをすると思った1日でした。

 

最後まで読んでくださった方々。
ありがとうございます。

 

アイドルファンの方々はもちろん、それ以外の趣味を持つ全ての方が自分の「好き」という気持ちをこれから先もずっと誇れますように。

 

きっと大丈夫

フリーランスとは名ばかりのほぼ無職のような生活をしはじめて、早9ヶ月が経とうとしている。お陰さまでギリギリ食べていけない程度のお金をいただき、ギリギリ家賃を滞納しながらギリギリ人並み以下の生活を送っている。

 

「ライターになりたい!」と決心し、5年務めた会社を辞めた昨年4月の自分が見たらぶん殴られそうな現状だが、それでもなんとか東京にしがみつくことにはまだ成功している状況だ。

 

ライターになって初めてプレゼン大会のようなものに参加した。

それが昨日開催された「ENTER」というヒャクマンボルト主催のもの。「参加した」と言っても正しくは見学しに行っただけで、僕の出した企画は見事に予選落ちしていた。

 

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223通という企画の中から本戦に勝ち進んだ6案を「なんぼのもんじゃい!」という気持ちで見に行ったらどれもこれもクオリティが高くて正直かなり面を食らった。

 

企画やプレゼンの内容を僕がここで書いても当日実際にプレゼンされた出場者の方々のような面白い伝え方もできないので割愛した上で、それを側から見ていた感想だけを書いて行きたい。

 

今回のテーマはザックリと「平成」。それ以外のものは何も指定がなく、プレゼン方法もフリースタイルという随分自由度の高いものだ。

 

僕は普段WEBよりも紙媒体で仕事をすることが多い。というかほとんど紙媒体でしか仕事をしていない。とはいえ、マインドは現代っ子なので企画会議では「どう見てもWEB向きだろ」というような内容を出しては「どう見てもWEB向きだろ」と言われる日々を過ごしている。

 

これは紙やWEBで区別されることではないが、紙とWEBを比較した時には大きな特性としてWEBは紙と違って無料ということだ。もちろん一概にそうではないものもあるが、ほとんどは無料で読めるものだろう。それ故、どうしても一発ギャグや出オチのような企画タイトルがつくことが多い。

 

それを悪く言うつもりは全く無いし、少なからず紙でもWEB程ではないが誇張したタイトルをつけるときもある。これを踏まえ、ライターをやっていて改めて感じるのは「記事は見てくれる人がいて初めて記事になる」ということだ。

 

どんなに面白い内容で企画を立て、時間をかけて取材をし、記事にしても、読まれなかったらそれは記事としては失敗なのだ。誰も評価してくれない。大道芸人や路上のミュージシャンも同じだ。足を止めて、見て、聞いてもらい、誰かの目に留まる為にやっているはずだ。ライターも当然読んでもらう為に書いている。記事に限らず、このブログも今この文章を読んでくれている人がいて初めてブログになった。その為にキャッチーで目を引く企画タイトルが必要なのだ。

 

「企画を送ってくれ」と言われれば、それをワードに書き起こす。当時は面白いと思っていた企画も今読み返せば、何が面白いのか全くわからない。きっと「せーの!」でジャンケンをした方が盛り上がるような企画ばかりだ。

 

それでも当時「面白い!」と思っていた理由は、きっとその企画に熱量があったからだろう。何か企画を思いついた時は、思い付くまでの悩んだ過程やかけた時間、全く面白くない無の状態から「こうしたら面白くなるのでは?」というアレンジを加えたプロセスが乗っかってくる。

 

でもそれをワードに起こした文字の中で説明するのは難しい。熱量が伝わりにくいからだ。「言葉で説明させてくれたらもっと面白いのに……」そう思うことも少なくない。

 

実際、昨日の会場でも出場者の方の企画について、ノオト代表の宮脇涼さんは「企画書をもらった段階では何が面白いのかわからなかったけど、こうやって話を聞くと面白いね」と言っていた。自分のことでもないし、僕はそのプレゼンをした方とは面識も何もないが凄く嬉しかった。もしかしたら今まで採用されなかった企画たちも実際に説明できたら「面白かった」と言ってもらえるものもあったんじゃないかと思えたからだ。

 

企画はライターにとって火種だ。サバイバルや無人島生活で見るような木の枝を一生懸命擦り合わせ続け、やっと出来る火種。企画テーマについて、深く考えるとことでようやく思い付くもの。

 

それを元に火を起こしてくれるのが編集者だ。やっとの想いで起こした火種を見つけ、「ここから先はこうした方がうまくいくよ」と落ち葉や枯れ木を集めてきてくれる。火種はその甲斐あって少しずつ炎に変わっていく。

 

炎に変わればその明かりや煙を見て、集まってきてくれるのがユーザーだ。煙が上がれば上がるほど、多くの人の目に止まる。これが今で言うところのバズであったり、炎上というのだろう。

 

今回僕はその火が起こる瞬間をユーザー側から見ているだけだった。

本音を言えば、あの場所に立ちたいという想いは今も全く変わっていないが、登壇した6組の方々の企画はどれも僕の考えたものよりも面白かった。

 

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「すごいなぁ」「よく思い付くなぁ」なんて思う反面、「なんでもっとちゃんと企画考えなかったんだろう」という後悔が押し寄せてくるのは、ハッシュタグでイベント名を検索するとどうやら僕だけではなかったようで。

 

自分の頭の中で考えた物語を人に発表して、それを評価されて、仕事や繋がりが生まれる瞬間をあれだけ鮮明に見せられたら憧れよりも悔しさが強くて、懇親会では誰とも話さず早々に撤退した。こういったときに無理矢理にでも知り合いを増やすべきなのだろうが、あのキラキラ感が落選した僕には少し眩しすぎた。

 

会場の入り口では、長年憧れていたヒャクマンボルト代表のサカイエヒタさんとご挨拶をさせていただき、まさかまさかの名刺交換まで……泣

今から6〜7年前、エヒタさんがツイッターで似顔絵アイコンを販売していた頃からのファンだったので無事に記憶がなくなり、何を話したのか覚えていない。もし僕が死んだら名刺は棺桶に入れますね。今度はぜひ仕事としてご一緒できたら嬉しいです。そうなれるように頑張ります。

 

田舎で暮らす家族からは「仕事うまくいってるの?」と定期的に連絡が来る。うまくいっているとはお世辞にも言えない状況だが「大丈夫だよ」と返事をするにも、そろそろ大丈夫じゃなくなってきていた頃だった。でも、昨日あんなものを生で見たら今までぼんやりとしていた”大丈夫”の正体に何となく気付く事ができた。

 

僕はきっとライターという職業が好きだ。

だからきっと大丈夫。

平成じゃなくなる前にデートがしたい

みなさま、あけましておめでとうございます

 

根がロックスターだから28歳になる前に死ぬ予定だったんですけど、12月に無事誕生日を迎え、しっかり歳をとりました

 

2018年は4月に会社を辞めて、5月からはライターとして"自分ではない何者か"になりきることで生計を立ててきました

 

・仮想通貨で借金苦に悩む30代独身男性
・夫とのセックスレスに悩む20代の妻
・子供の将来が不安な2児の母
・アイドルを応援することが生き甲斐の40代男性

 

いつかこの経験が役に立つことが来るのかなーって思ったり、思わなかったりしてますが、「うわー!あの時、夫とのセックスレスに悩む20代の妻のフリしてて良かったー!」って思うような人生は多分ロクなもんじゃないことくらいはわかる。現時点でもうすでにロクなもんじゃないだろってのは無しの前提で

 

最近はずっと「平成」について考えてて、頭では4月末までが「平成」で5月からは「平成じゃない」ってのはわかるけど、わかんないなって感じで

 

生まれてきてから今日の今日までずっと「平成」で、「平成」の前に「昭和」があったのも「昭和」が終わったから「平成」がきたのもわかってるつもりだけどわかってなくて

 

小学校のころ平成生まれって言うと「え!うそ!平成生まれの子ってもうこんなおっきいの!?えーやだー」って周りの大人から言われて

 

なんとなく新時代というか「これからは僕たちが時代を作るから安心してくださいね」みたいな優越感を今度は僕が"周りの大人"役としてやる番が近づいてくるんだろうなって

 

マイケルジャクソンが死んだり、スティーブ・ジョブズが死んだり、SMAPが解散したなんて凄く最近のことのように感じてるけど、それはいつか教科書に載って、遠い昔の出来事って感覚で生きる世代や時代がこれからくるんだろうなって

 

平成が終わるってのは誰かから「もうお前らの時代じゃないよ」って言われてる気がしてすげー切ないなって

 

「昔は20円で腹一杯飯が食えた」なんてじぃちゃんが言ってたのを何の気なしに聞き流してたけど、僕もいつか「チュッパチャップスは30円だった」とか「マックのハンバーガーは60円だった」とか言い出すんだろうなって

 

「平成」じゃなくなるってのをどう考えても都合よく受け取れないけど、唯一都合よく受け取るとしたら免許証の期限が平成32年まで有効だからこれもう一生更新しなくていいかなって思ったり

 

昔、増税するぞって時に「増税前にデートしようよ」って誘い方したら大体デート出来たので、当面は「平成のうちにデートしようよ」って誘い方しようと思います

 

締め方がわからないのでこの辺で

今年はたくさんブログ書くのでたくさん読んでくださいな

 

あと、今年は本名でツイッターやろーってことでしれっと名前も変えました

みんなタカダって呼ぶからなんも変わらないかもしれないけど

 

てことで、今年もよろしくお願いします

体調には気をつけてくださいませ

体調不良のタカダより

 

対してやばくないのに「やばい」とすぐ言ってしまうやばいあなたへ

クレイジーケンバンドの「タイガー&ドラゴン」という曲をご存知だろうか。

 

「俺の俺の俺の話を聞け 2分だけでもいい お前だけに本当のことを話すから」という歌詞が印象的な全然話を聞いてもらえない人の歌だ。

※嘘です

 

冗談はさておき…

ここから先はノンフィクションになっている。いつもブログはノンフィクションだが、今日こそは本当にノンフィクションだ。

流石に2分では読み終わらないが、どうしても暇なら是非僕の話を聞いてほしい。

  

 

 

ここ数日、個人的に仕事が爆発していた。ちぎっては投げ、ちぎっては投げの繰り返し。

毎日その場凌ぎをしながら「クライアントの進捗どうですか?」というメールに対し、「富士山で言えば五合目でしょうか」と溢れ出るユーモアと隠し切れないフェロモンで返信し、「もー五合目じゃなくて半分っていってよータカダさんっておもしろーい!やだなーハハハハハ」と返ってくるはずだったのに「了解です」とだけ返ってきた。いつから僕のクライアントは沢尻エリカになったんだ。

 


今日(というか日付的にはもはや昨日)も朝から馴染みの会社に出入りをし、富士山で言えば七合半くらいまで差し掛かった仕事に取り掛かっていた。

 

昼食はオフィスビル内の居酒屋で海鮮丼を食べた。凄まじい回転力で客を回す同店は注文して1分で海鮮丼が出てくる。

 

料理の良し悪しは提供スピードでは全く変わらないはずだが「早く来すぎる」というのは少しこちらに心配をかける。出会ってすぐ告白されるよりも少し溜めてから言われた方が好きな気がしてくるアレと同じだ。もう少し注文を受けてから作りました感を演出してほしい。

 

上に載っている具がガリと蒲鉾しかわからない海鮮丼をペロリと平らげ、食後にアイスティーを飲んだ。海鮮丼にアイスティー。このバランス感覚こそ、僕が僕である所以なのだ。


食事を終え、仕事に戻る。

19時過ぎに仕事を終え、急いで新宿に向かった。友人と食事の約束をしていたからだ。

 

2人で合うのは初めてだったので、向かう電車で「新宿 居酒屋 良い雰囲気」で調べた。調べた結果、どこもかしこも良い雰囲気だと思う店ではなく、頭を抱えているうちに新宿に着いた。

 

何が食べたいのか尋ねると寿司がいいというので寿司屋に入った。入った後に昼が海鮮丼だったことを思い出した。昼に海鮮丼で夜に寿司。このバランス感覚こそ、僕が僕である所以なのだ。

 

目の前で一貫500円の雲丹を頼まれながら僕は150円のサーモンを頼み、友人の話を偉そうに聞いた。後ろのテーブル席ではザ・歌舞伎町なカップル、前のテーブルではどう見てもホストとその客が「なぜ寿司屋に来たんだよ」と思うような出で立ちで口論していた。


凡人が聖徳太子になろうとした結果、全く寿司屋の記憶がなかった。一貫500円の雲丹を食べられたことと、会計が僕持ちだったことは記憶にあるのに何を話したのかは全く覚えていなかった。


友人は100円を入れると動き出すおもちゃのようにご飯を奢ると腕を絡ませてくる癖があった。前後をザ・歌舞伎町なペアに囲まれて食事をしていたこともあり、僕も歌舞伎町に染まろうとその絡まってくる腕を受け入れた。

 

「ねー!カップルに見えるかな?」と訪ねてくる友人に沢尻エリカのような返事をしながら路地を曲がったら目の前に会社の先輩がいた。

 

「え!タカダじゃん!やば!」と僕と友人を見て先輩は言う。わかる。超わかる。「え!タカダじゃん!」の後の「やば!」の意味が僕にはわかる。超わかる。


僕も角を曲がって突然後輩が異性と腕を絡ませながら歩いてきたら「やば!」しか出てこない。最近の若者は何でもかんでも「やばい」で片付けてしまうのは良くないところだが、それでも僕らは何かよくわからない感情に気付いた時「やばい」と口に出すしかない。

 

嬉しすぎてやばい
悲しすぎてやばい
怒りすぎてやばい
切なすぎてやばい
会社の後輩が新宿で異性と腕を絡めて歩いているところを目撃したときのやばい

 

「やばい」という単語は、やばい便利なのだ。どれくらい便利かと言うと、便利すぎてやばいくらいだ。


話を戻そう。
先輩に目撃され、気が動転した僕は先輩からの「お幸せに(笑)」という発言に対し、「ありがとうございます」と言った。今でもなんの「ありがとうございます」なのか全くわからない。

 

僕の「ありがとうございます」を受け、友人はより一層腕を絡めてきた。おそらく幼少期から「ありがとうございます」の発言に合わせて腕をからませる特殊訓練を受けていたのだろう。彼女は悪くないのだ。

 


これから朝まで仕事の友人を見送り、帰路につく。帰り道で「友人と腕を絡ませながら歩いているところを会社の先輩に見られた」ことを後輩に話したら「それ恥ずかしすぎてやばいっすね。俺なら死にますわ」と言われた。最近の若者はすぐに死ぬのでよくない。やばいよくない。

 

家に着いたのが23時。朝までに仕上げる予定の仕事を片付けようとしていたらいつのまにか気を失っており、4時に起きた。


もう4時なのやばいな……と思いながら携帯を見ると「ホリエモン ロン毛」で検索していた。なんで検索したのかはまったく覚えていないので、検索履歴を削除し、顔を洗った。


今から70分のインタビューの文字起こしをする。朝までにするとクライアントに伝えているからだ。曲がりなりにも半年間ライターをやってきた経験則から言えば、どう考えても終わらないレベル感だがやるしかない。

 

 

今日で3日目。

3日間空いてしまったのは、どうしようもないので今日からまた頑張ろうと思う。

 

 

ご静聴ありがとうございました。

もし良かったら高評価とチャンネル登録お願いします。

 

多分大丈夫

もうすぐで10年になる。田舎を出てきてから経つ年月だ。

 

当時、僕が田舎を出て一人暮らしを始める理由はすごく単純で、その時好きだった女の子が進学する大学の近くに住めばその子が泊まりに来るかもしれないと思ったからだ。


現に1度きたことがある。
その時住んでいた場所は千葉だったが、あの日以上に僕は世界の中心にいると感じたことはない。


18歳で上京、22歳で就職、27歳で会社を辞めてフリーになった。完全に無計画のまま航海に出たフリーランスタカダ丸は、港を川崎の端っこから高円寺に移し、ゆっくりと沈没に向かいながら今日も目的地を探すという目的を果たすために舵を切る。

 


東京は誰にでも居場所があって、誰にも居場所がないところだと思う。
田舎に住んでいた時は一度レールから外れると中々やり直せない。酷な話、いじめられっ子が田舎にいるまま一花咲かせるのは難しい環境だ。

 

限られたコミュニティしかないというのはそこに親しめない者からすると苦痛だった。東京はいい意味でも悪い意味でも他人に無関心だから助かる。

 

かといって、田舎が嫌いだったわけではない。でも好きだと思ったこともなかった。
ただ漠然と「ここで将来を過ごすことはないんだろうな」という思いだけを胸に東京にきた。


1年に1度開くか開かないかのFacebookを見ると、田舎の友人たちは皆結婚をしている。もう今更そちら側の人生を歩めるとは思わないし、思えない。羨ましいとも思うが、なりたいかと聞かれたらそうとも思わない。


僕が東京に行くと言ったとき「お前は東京が合ってるよ」と背中を押してくれた友人が高橋くんだった。


とにかく情に熱い男で大した友達でもなかったのに「俺たち一生親友だからな!」みたいな照れ臭いセリフを卒アルに寄せ書き出来るタイプの人間で、根拠のない自信をいつも持っていた。

口癖が「多分大丈夫」だったが、この言葉に助けられた記憶はなく、その何倍も裏切られた記憶がある。

 

一緒に高校生クイズに参加した時のはじめの2択も彼の「多分大丈夫」を信じて間違えた。

授業中の小テストも映画の開始時間も好きなあの子への告白も、いつだって彼の「多分大丈夫」が大丈夫だったことはなかった。

 

そして今思えば彼は東京に行ったことがないと思う。小学校からずっと茨城にいたし、小中高と同じだった。何をもってして「東京が合ってる」なのかわからないが、絶対適当に言っていたことだけはわかる。彼はそういう男なのだ。

 

今思ってもとんでもないやつだが、そんな高橋くんもFacebookにどこから見つけてきたのかわからない田舎のテンプレキャバ嬢のような女性との結婚報告を乗せていた。

 

高橋くんは派手な女が好きだったが、嫁は子供ができたと同時に装備していた数々の課金アイテムが剥がれ、今は初期アバターのような見た目で妻から母になっている。


正月に帰った際、今の嫁をどう思うのか聞いたら「俺にはあいつが合ってるよ」と得意げに言っていた。

 

どこからくるのかわからない自信は健在だったが、昔より少しだけカッコよくも見えた。

 

その時は「多分大丈夫」とは言わなかった気がする。言わない方が大丈夫な気がしてくるのだから彼の言葉は不思議だ。

 

今日で2日目。
我ながら厄介な約束をしてしまったと思うが、多分大丈夫だ。

 

夜を使い果たして

夜だ。誰がなんと言おうと間違いないくらいの夜だ。昼過ぎから始めた仕事を終え、18時に友人と会ってからもう10時間は経っている。


日付的には木曜日になっているが、まだ寝ていないから水曜日の気分で携帯を触る。画面をタップする指が擦れるわずかな音さえ聞こえるような圧倒的静寂が、夜更かしをしている罪悪感を加速させる。


何年生きていても寝る前の「朝起きたらやろう」「絶対に早起きしよう」に関しては、キャバ嬢の「今度ご飯行きましょうよ」「タカダさん面白いから好きです」くらい信用ならない。


振り返っても明日の自分になにかを託し、思い通りになったことは一度も無い。それくらい明日の自分の下馬評は低いが、それでも期待せずにはいられない。


いつだって人生は「こうしたほうが良いと分かりきっている今日」と「それを出来ずに尻拭いをする明日」の繰り返しだ。仕事もプライベートも「今日までにできることは全てした」と満足したことは一度も無い。

 

きっとこれから先も満足することは一度も無い。どんなに些細でも「昨日のうちにしておけばよかった」という想いを抱きながらこれからずっと生きていくのだ。

 

ただ眠気まなこでブログを更新した自分だけは褒めたい。これに関しては明日に繰り越してはダメなことだった。読み返す勇気も書き直す元気もないからこのまま更新をする。

 

夜が明けそうだ。あと数十分ほどで明るくなる空に背を向けて、急いで今日を終わらせる。

 

今日は夜を満喫した。おかげさまでこんな時間にブログを書く羽目になった。すごく眠いが心地のいい眠さだ。これから毎日この眠さを抱きながら生きていく。

 

今日が1日目。

きっと1年なんてあっという間だと思う。

 

 

夢の中へ連れていって

「いきなりだけど、俺結婚するわ」

 

 

 

仕事終わり、急ぎ足で恵比寿駅まで向かう道中、片手間で友人の電話を取った私は、彼が何を言っているのかわからなかった。まさかと思い、聞き直す。

 

 


「今結婚するって言った?」

 

「うん。言った」

 

「誰が結婚するの?」

 

「俺だよ」

 

 

 

27年生きてきて、夢は寝ている時しか見ないものだと思っていたが、どうやら目を瞑っていない時でも夢は見れるらしい。
駅前で転がる酔っ払いまで再現されているなんて、妙にリアルな夢だと思った。

 

 

 

「急にびっくりさせてごめん。忙しかった?」

 

 

 

彼は基本的にお調子者だが、無意味な嘘をつくタイプではないし、こちらの予定を心配しながらわざわざ電話で伝えてくるあたりにこの夢のこだわりを感じた。

 

 


終電まで、あと1、2本電車を見逃せた。
普段であれば適当にあしらい、少しでも早く自宅に帰るところだが、なんとなくそうしてはダメな気がした。
山手線渋谷新宿方面行きのホームで、サザンオールスターズ真夏の果実を熱唱しているサラリーマンを横目に彼の話を聞いた。

 

 


「さっき彼女から直接妊娠したと聞いた。ちゃんと話して結婚することにした」

 

 


彼とは約4年の付き合いだが、飲み会とガールズバー以外の誘いで連絡がきたのは初めてだった。

 

 


「ほら、この前結婚のこと色々話してたから、お前には言わなきゃと思って」

 

 


これが演技だとしたら今すぐ彼にはアパレルを辞めて、俳優業を志すように説得することを胸に近い、彼が言うこの前のことを思い出した。

 

 

 

 


「結婚なんて全くする気がない」

 


2週間前、酔った勢いで結婚観を語り、その数週間後にまさか恋人と別れるとは思ってもいない私の横で彼は言った。

 

 

「彼女は結婚したがっているかもしれない。でも俺はする気がない。彼女のことを考えると別れてあげた方がいいかもしれない。てか、俺そもそも子供が嫌いだし」

 

 


おそらく全て本心だろう。
無くなりかけの瓶ビールを傾けながら話す彼の言葉に嘘はなかった。はずだった。

 

 

 


そのわずか2週間後、僕は恋人と別れ、彼は結婚を決意した。

 

 

 

彼の彼女とは2度会ったことがある。
初対面にも関わらず、全く敬語を使わない彼女に少し嫌悪感を覚えたのが1度目。
ラブホテルの帰りに呼び出され、ホテルに行くと毎回一緒にお風呂に入ると聞かされながらジャスミンハイを飲んだのが2度目だ。

 

 

彼らが当時していた"デート"は、昼過ぎから居酒屋をハシゴし、ラブホテルで体を重ね、また居酒屋で酒を飲むことだった。
互いに文句の一つも言わないどころか「デートってこれ以外にすることなくない?」と言っていた。
正直意味不明だった。

 

 


記憶を辿り終え、なんとなく、そしてしっかりと夢ではないことを認識したタイミングで終電の時間がきた。
「朝まで飲まないか?」と誘ってくる彼に対し、どんな顔して会えばいいのかイマイチ分からず、翌日の仕事を理由に断った。

 

 


そこから約2ヶ月半たった先日。
彼女を含め、直接彼に「結婚おめでとう」と伝えられた。

 

 


何気なく接していたが、あの時彼女の中に彼の子供がいると考えたら急に彼が大人に思えてくる。
内輪でからかっていた彼の若ハゲも父になると思った途端にカッコ良く思えてきた。

 

 


これから2人での生活が始まり、年明けには3人になる。
今までのように朝までお酒を飲んだり、カラオケで踊り狂ったりはもう出来ないかもしれない。でも不思議と寂しさはない。

 

 


会う機会や環境が変わっても、彼らは変わらない気がするからだ。
彼は彼のままだし、彼女は彼女のままだ。
きっとまたふらっと飲みに誘われて、くだらない話をするような気がする。

 

 


その時に結婚生活の愚痴や子育ての大変さが聞けたら最高だ。これ以上ないつまみになる。「やっぱりまだまだ独身でいよう」なんて思えるのは、独身にだけ許された特権だ。思わせてくれなきゃ困る。

 

 


最後になるが、ほんとに結婚おめでとう。
2人の新居には胎教で聞くためのサザンオールスターズのベストを持って遊びに行きます。